大林わるのりさんからのコメント
笹幸恵が書いているブログ記事は、小林やゴー宣道場の方針をなぞっているだけなので深い意味は何もありません。
しかし、笹が4月10日、4月17日、4月23日に書いたブログ記事を読んでいると、彼女は心の中でうっ屈した気持ちを抱えていることが見えてくるかのようです。
竹田恒泰の「まるっとスルー」、All Aboutは気がつかないのか?
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46713
>都合の悪いことはすべて「なかったことにする」のが竹田。
>あるいは想像すらできない知能レベルなのが竹田。
(中略)
>本人が骨の髄まで男尊女卑だからだ。
笹はボスの小林に対して、本音では批判的な気持ちを持っているのかもしれません。
「都合の悪いことはすべて「なかったことにする」」という欠点も、「あるいは想像すらできない知能レベル」という欠点も、小林の言論活動の特徴に当てはまっています。
高市首相に対する執拗なまでの属性差別発言もそうですが、「本人が骨の髄まで男尊女卑」という欠点も小林の特徴に当てはまっています。
小林が男尊女卑の人間であることを思い知らされてしまった笹が、皇位継承問題では男系天皇派のことを「男尊女卑」呼ばわりしてブログで叩いていることがなぜか私には引っ掛かっています。
もしかすると笹は、男尊女卑の小林に対する不満を、指桑罵槐という形で男系天皇派の論客にぶつけているのでしょうか。
長浜博行議員を応援する。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46882
>なんで「女」という属性だけで、ありとあらゆる縛りがかけられるのだ?
皇室ではそんなに「女」が蔑まれる存在なのか?無力なのか?
(中略)
>論点ずらしをせず真正面から課題に向き合い、過去の議論を踏まえ、考えを整理する。これぞ、まっとうな政治家のあり方だ。目先の岩盤支持層と保身のみの”永田町界隈の人”には言ってもわからないだろうが。
女性師範がよしりんバンドでバックダンサー扱いされていた事実からも分かるように、ゴー宣道場は「「女」という属性だけで、ありとあらゆる縛りがかけられる」組織であるようです。なぜなら、ゴー宣道場の独裁者である小林こそが男尊女卑的な人間で何かと属性差別を好む体質だからです。
小林が根っからの男尊女卑でミソジニーであることや、笹が被害者となった「ともだちんこ」事件からも分かるように、ゴー宣道場は「「女」が蔑まれる存在」となっている歪な組織と化しています。
ゴー宣道場と深く関わってきた笹は、自分が小林から女性差別そのものの仕打ちを受け続けてきたことに対して、心の中では不満を抱いていたとしても不思議ではありません。
また笹は、言論人としての小林がいい加減な言説を唱え続けて、責任を取ろうとしなかったことも知っているはずです。
「論点ずらしをせず真正面から課題に向き合い、過去の議論を踏まえ、考えを整理する」という言論人としてのまっとうなあり方は、小林は全く実行できずに今へと至りました。
笹が指摘している「目先の岩盤支持層と保身のみ」にこだわるという言葉も、まるで小林の特徴を言い表わしているかのようです。ゴー宣の作者となった小林はシンパたちへの受け狙いのために思いつきで極論を唱え、自らを取り繕うための保身に徹し続けた人間でした。
小林が思いつきで無責任な発言をするたびにいつも意見を合わせていて、ブログで擁護・補強の評論を書かされる幹部たちでさえも、たまには違和感を覚える時があるはずです。表向きではボスのイエスマンである笹も、小林の意見の出鱈目さを内心では気付いているでしょう。
知性・品性のカケラもない自称保守連中。
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/46982
>青山の上辺だけの「いい人ぶりっ子」、全く反吐が出る!
(中略)
>現代の「人権」とやらに理解あるふりをしながら、本音は「女の天皇など絶対に認めない」だ。
例えば、男尊女卑の権化である小林が、「愛子天皇実現」の免罪符を利用して自分を女性の味方のように演じているやり方は「上辺だけの「いい人ぶりっ子」」に当てはまっています。
また、小林の場合は、「現代の「人権」とやらに理解あるふり」をしているという特徴にも当てはまっています。小林は2010年代以降にリベラル化してからは、表向きは「人権」に理解を示すような発言をたまにはするようになったものの、実際には天賦人権論を否定する思想を未だに捨てていません。
呉智英・西部邁という間違った師匠の影響で「人権=左翼思想=悪」「人権派=左翼=悪」という偏見を持ってしまった小林は、芸能界での性加害問題の告発さえも「人権=左翼=キャンセルカルチャー=悪」という単純な発想でしかものを考えることができない人となってしまいました。
>よくもこんな見え透いたウソをついて自己陶酔できるもんだな。それをウンウンと頷いて聞いていたであろう同会所属の議員も同じ。偽善も偽善。知性のカケラもない。
(中略)
>基本、この人は論理的な構成より自分の知識自慢を優先するので、話がとっちらかって結局何が言いたいのか全くわからない。
(中略)
>日本人の知性、品性はどこへ行ったのか。自称保守連中の薄っぺらさのせいで、日本人は劣化の一途を辿っている。
やはり笹は、言論人小林よしのりのいかがわしさについて気付かざるを得なくなっているのでしょう。小林は「見え透いたウソをついて自己陶酔できる」人間であり、言っていることは「偽善も偽善」で「知性のカケラもない」ものばかりとなっています。
小林がゴー宣でやってきた言論とは、「論理的な構成より自分の知識自慢を優先するので、話がとっちらかって結局何が言いたいのか全くわからない」ものとなりがちです。
この欠点は、小林ブレーンでゴーストライターを任されている時浦にも当てはまっています。
もちろん小林のブログ記事でさえも、何かと「自分の知識自慢を優先する」内容となりがちですし、非論理的で「話がとっちらかって結局何が言いたいのか全くわからない」駄文の最たるものと化しています。
小林はゴー宣で詭弁を繰り返して読者たちを騙し続けながら、多くの狂信的なシンパたちを獲得して今に至りました。
しかし、誰よりも熱心な小林信者となっている人間に限って、ゴー宣のいかがわしさに気付いてしまうと徐々に違和感を抑えられなくなって、最後は強固な批判者となってしまいます。
『戦争論』と出会ったころの笹は熱烈な小林シンパだったのでしょうけど、ゴー宣道場に参加してボスの理不尽さをたびたび目にしてからは、心の中では違和感を覚えざるを得なくなっているのかもしれません。
笹がブログ記事で書いている「日本人の知性、品性はどこへ行ったのか。自称保守連中の薄っぺらさのせいで、日本人は劣化の一途を辿っている」という文章は、まるで小林を批判したような内容として読めてしまいます。
笹が論敵を批判するために使っている表現は、なぜか小林の特徴を言い当てているかのような内容になってしまうようです。
もしかすると笹幸恵も映像作家O氏と同じく、小林に対してブログでこっそりと指桑罵槐する人間になってしまったのでしょうか。
ボスのイエスマンとなっていた笹が、今ごろになって小林への指桑罵槐に目覚めた可能性は全くないとは言い切れません。
おそらく笹にとっては、倒れる前の小林は怖くてたまらない存在だったのでしょう。しかし、小林の体調悪化や没落を目にしたおかげで、笹にとってはボスが以前ほど怖い存在に見えなくなったとしても不思議ではありません。
その結果、笹はボスへの指桑罵槐という形でやっと反抗心に目覚めることができたのかもしれません。
そして、もちろん現在の笹はゴー宣道場の師範として、『SPA!』でゴー宣の連載が打ち切りとなったニュースを知っているはずでしょう。ゴー宣の連載打ち切りについて笹が果たして何を思っているかは、私の預かり知るところではありません。
2026年04月26日 16:29
https://washiblogact3.seesaa.net/article/502916688.html
大林わるのりさんからのコメント
愛子さまを侮辱するDV男・青山繁晴
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47020
>青山繁晴は、愛子さまに対するDVをはたらいているのも同然だ。
残念なことに、泉美木蘭は物書きでありながら言葉の使い方が雑になっているようです。
何も知らない一般人が泉美木蘭のブログ記事のタイトルを見たら、青山繁晴・環境副大臣を一般的な意味でのDV加害者扱いしているかのように見えてびっくりしてしまうでしょう。
泉美木蘭のこのブログ記事を実際に読んでみると、女系天皇容認論の立場から皇位継承問題を巡る青山氏の主張を批判した内容となっています。
だから、泉美が「青山繁晴は、愛子さまに対するDVをはたらいているのも同然だ」と書いているのは、DVという単語をあくまでも比喩として用いているだけです。
しかし、泉美がブログ記事のタイトルでいきなり「愛子さまを侮辱するDV男・青山繁晴」と書いてしまうのは、何の証拠もなく青山氏を一般的な意味でのDV加害者と決めつけて、攻撃しているかのように読者に受け止められかねません。
泉美が物書きを本職にしているならば、ブログ記事のタイトルを書く際はもう少し言葉づかいに気を付ける必要がありました。もしも泉美がゴー宣道場での師範の地位に安住せず、本業で修行を積んでいれば肝心の文筆の能力はもっとマシなものになっていたはずです。
また、泉美が青山繁晴氏を「愛子さまに対するDVをはたらいている」と言って比喩していることの問題とは、小林やゴー宣道場の主張をそのままなぞっているだけであることもそうでしょう。
小林やゴー宣道場関係者は、男系天皇派の論客の三橋貴明氏が過去にDVで逮捕された事件について触れ、男系天皇派はDV男と同じであるという飛躍した言説を生み出すに至りました。
つまり、小林やゴー宣道場が言っている「男系天皇派=DV男」の主張とは、三橋貴明氏を人格攻撃している際に生み出されたプロパガンダに過ぎません。
しかし、何も知らない一般人からすれば、小林やゴー宣道場が「男系天皇派=DV男」なる決めつけをしているのは、一体何のことなのか意味が分からないでしょう。
皇位継承問題を巡る青山氏の言説について、泉美が「愛子さまに対するDVをはたらいている」と決めつけた文章を書いたところで、この主張に同意できるのはゴー宣道場の考え方に染まった門下生たちぐらいでしょう。
残念ながら現在の泉美はゴー宣道場だけで通じる言葉を使って、小林界隈の人たちにしか伝わらない文章を書いている人間になり果てています。表向きは物書きを本職としているくせに、一般人に言葉を届ける努力を放棄してしまった泉美の姿勢は、明らかにプロ失格であると言わざるを得ません。
ゴー宣道場という蛸壺集団にしか伝わらない文章を書き続けて安心したせいで、泉美は物書きとして退化してしまったようです。
ところで話は変わりますが、泉美が「小林よしのり全宇宙」サイトのブログで青山繁晴氏を罵倒しているのは、小林に事前に命令をされてやっている可能性があるか、或いは彼女自身が小林に忖度してやっている可能性があるでしょう。
もともと小林は言論人としての資質が欠落した人間であるため、論敵と議論をする際はブレーンによる手助けをいつも必要としていました。
そんな小林はゴー宣道場という小王国のボスとなってからは、自分が論敵と決めつけている相手を論破ごっこする作業さえも、側近に丸投げする人間となってしまいました。
おそらくゴー宣道場では、独裁者小林が「わしが気に食わないあの敵を叩きたい」と方針を決め、側近たちがボスに追従するという形によって、結論ありきのブログ記事を書いて論敵を叩くという行為が続いていたのでしょう。
泉美がブログ記事で青山繁晴氏をせっせと叩いているのは、彼女が小林に媚びるイエスマンにしかなれなかったことを証明しているようなものです。高森明勅や映像作家O氏や笹幸恵といったゴー宣道場の他の幹部たちと比べてみても、泉美木蘭による小林への追従は明らかに度が過ぎています。
高森のようにゴー宣道場から静かに距離を置くことができず、映像作家O氏のようにボスに対して指桑罵槐することさえもできず、泉美はひたすら小林に対して媚びる姿勢を選んでいます。
だからこそ、泉美はよしりんバンドのバックダンサーになることや、ゴー宣道場のイベントで小林の介護役を担当することさえも、喜んで引き受ける人間となってしまったのでしょう。
一方で、笹幸恵は表向きはボスのイエスマンであっても、泉美と違って小林に対する違和感をもはや抑えきれなくなった可能性があるのかもしれません。
何しろ笹の場合は、ゴー宣道場の方針に合わせて論敵を批判するブログ記事を書いているかのように装いながら、最近ではなぜか小林の欠点を叩いているかのような言葉遣いの文章を書くようになっています。
小林に媚びる生き方を選んだせいで何者にもなれなかった泉美は、物書きとしても人間としても実に気の毒であると言わざるを得ません。
2026年04月29日 06:13
https://washiblogact3.seesaa.net/article/519947674.html
大林わるのりさんからのコメント
女性の美しさを知らない男系固執派
https://yoshinori-kobayashi.com/blog/47268
小林の詭弁の特徴とは、自分が憎んでいる対象や議論で勝てそうもない相手を藁人形論法で罵倒するということです。今回の場合は、小林は男系天皇派のことを「女というものを知らん」「女性の美に気づかない」と必死で罵倒しています。
小林が「男系固執派は女性の美に気づかない」と言っているのは、男系天皇派は愛子さまの美しさを理解しないから「愛子天皇実現」の正義を拒絶しているのだという意味として読めます。
何ということはありません。小林が愛子さまのことをルッキズム的な意味合いで評価しているのは、彼が推進している愛子天皇実現運動が歪んだ推し活でしかないことを証明しているようなものです。
小林は、自分がロリコン的な欲望で愛子さまをアイドル扱いしていることを正当化したいがために、男系天皇派を「女性の美に気づかない」と罵倒しているだけに過ぎません。
そもそも、小林が「女性は美しいものだし、可愛いものだし、愛おしいものだ」と必死で褒めたたえているのは、あくまでも女性の外側の姿を称賛しているだけであり、女性の内面や人格を評価している言葉ではありません。
小林が女性のことをルッキズム的な意味合いで評価しているのは、彼が美しい女性を男のための戦利品と見なす人間観の持ち主だからです。
例えば、小林がゴー宣道場のイベントで女性師範に和服コスプレをさせて侍らせたのは、彼が女性を戦利品扱いしていたことの証明とも言えます。
また、小林は男尊女卑とミソジニーの権化であるため、女性の人格を男性と平等なものとして評価することができません。小林は女性のことを「男性と対等な人格」として評価できない人間であるせいで、属性差別を行うことに何も罪悪感を持とうとしません。
このブログで小林が「高市早苗のように、女でも、女の美しさに気づかない」と言っているのは、高市早苗が女性首相であるならば、同じ女性である愛子さまの「美しさ」を認めるべきだと言っていることに等しいものです。
「女性であるならば~であるべきであり、女性らしくこうするべきだ」という小林の押し付けがましい意見は、まさしく属性差別の典型です。
呆れたことに、小林は愛子さまを「女性性」による評価で脳内で美化して崇拝し、高市首相のことを「女性性」による決めつけで属性差別をして罵倒しているというわけです。
さらに、小林は女性に対する「愛」や「情」や「信頼」を持ち合わせていないくせに、自らのシモの欲望を満足させたいという気持ちは誰よりも強い人間です。
だから、小林が「女性は美しいものだし、可愛いものだし、愛おしいもの」と言っているのは、女性の肉体を性的な対象として愛でる気持ちの裏返しでもあります。やはり小林の正体とは、シモの欲望で女性の良し悪しを評価するスケベなゲス男なのでしょう。
もちろん、小林が書いた「男を愛し、男に愛されないで、何の人生じゃろうか?」の文中にある「愛し」「愛され」という言葉さえも、「人と人が愛し合う」という美しい意味ではなく、獣のような性行為を楽しむという意味として読むべきです。
小林は他人を愛することができない冷酷な欠陥人間であるため、「愛」と「性欲」の区別が全くできていません。女性を戦利品扱いして、いつもシモの欲望で動く俗物として生きてきた小林は、女性ファンを相手に性加害を平気で行うことさえも厭わない下劣な人間となりました。
人を愛することができず、女性のことを男性より劣った生き物として見下し、その上、他人のことを道具と思い込んでいる小林が、まともな人間関係を築けなかったのは当然です。
小林が女性のことをこれでもかと見下して憎むようになったのは、やはり幼少期のころの両親の虐待が影響しているのでしょう。母親への憎悪、父親への恐怖心、祖父への追慕の念、さらに両親から可愛がられた妹への嫉妬などの要因が、小林の歪んだ女性観や人間観を作り上げた可能性があります。
だから、小林ブログにある「男からも女からも、ろくな目に合わされないで、死んでいく人」という罵倒文は、明らかに彼自身の心の中にある被害者意識を投影したものでしょう。
もしかすると、小林は無意識の中では以下のように思っているのかもしれません。
「子供のころのわしは、男(父親、相撲大会の少年、暴力教師、高校時代の不良たち)からも、女(母親、妹、自分を非モテ扱いした女子生徒たち)からも、ろくな目に合わされかった。だから、大人になってからのわしは、強くなるためにマッチョイズム的な人間を演じるしかなかったのだ」
周りからろくに愛されずに育った小林は、無理やり偽りの「強い自分」を演じて虚勢を張る人生を送り続けました。その結果、小林は人に対して「愛」や「情」や「信頼」を持つことができず、女性を「男性と対等な人格」と認めることもできない欠陥人間のまま人生を終えようとしています。
2026年05月07日 23:26