大林わるのりさんからのコメント
小林よしのりのゴー宣の特徴といえば、論敵に対する罵倒が自己投影によるものということです。男野系子というキャラを見て思ったのは、右派だったころの小林自身の投影じゃないのかという疑念です。
まず、実家の家族の構成が似ています。男野系子(漢乃系子)も小林よしのりも妹がいます。親に可愛がられたのが系子で、親に虐待されたのが小林という違いがありますけど。
右寄りの思想を持つ夫の影響で自分も右傾化したという系子の告白は、
90年代後半から2000年代初頭の小林と重なりました。まるで、秘書の金森や右派系の学者たちの影響で右傾化した小林と似ています。
男野系子と小林の共通点は、自分の頭でものを考えることができなくて、世話役の影響ありきで価値観を形成したということです。
90年代末期から2000年代初頭の小林は、石原慎太郎・東京都知事を好意的に評価していました。安倍晋三が台頭する前に右派陣営でスター扱いされていた政治家は石原慎太郎です。
夫の影響を受けて右傾化して安倍ファンになった純粋まっすぐ君の男野系子と、金森や右派学者たちの影響で右傾化して石原ファンになった純粋まっすぐ君の小林がよく似ています。
男野系子が男尊女卑のエセ保守に騙されたというのは、私にはこう読めました。
「昔のわしはブレーンだったエセ保守に騙されていたんだ。勘弁してくれ」という小林の無意識の悲鳴とも思えます。
右派時代の小林の言説はエセ保守に騙されていたせいだったならば、このころの言説は嘘まみれということにもなりますね。確かに小林は騙されていました。しかし、当時の小林の言説のせいでネトウヨが大量発生して、世論がミスリードされたという罪は消えませんよ。
まあ、男野系子が登場するエピソードは、ドロヘドロがゴーストとしてシナリオを書いた可能性があるでしょう。仮にそうであったとしても、男野系子というキャラは右派時代の小林を投影した可能性ありという感想は変わりません。
ただしこの場合ならば、右派時代の小林は黒歴史だったとドロヘドロが無意識で認めていることになりかねませんがね。
もしかしたら小林は、右派時代の自分は純粋まっすぐ君で騙されていたと思っているのでしょうか。男野系子という昔の小林を投影したキャラを見ていると、小林やドロヘドロによる無意識の悲鳴が聞こえてきそうです。
2025年06月28日 16:40
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「愛子皇太子が実現してくれるなら小泉進次郎首相でもいい」という小林よしのりの発言には唖然としました。小林は言論人としてあれほど天下国家について偉そうに論じてきたのに、日本の政治というものを一体何だと考えているのでしょうか。
そういえば、2000年代のころの保守派・右派の人たちには、「靖国参拝をしてくれるのなら小泉純一郎首相を支持する」という立場の人がいましたね。当時の小林は、そのような自称保守派を厳しく批判していました。
「女系天皇を実現してくれるのなら小泉進次郎首相でもいい」という小林と、「靖国参拝をしてくれるのなら小泉純一郎首相でもいい」という昔の自称保守派は実によく似ています。
伝統的なシンボルさえ残っていれば、政策はどうでもいいし民衆の暮らしなどどうなってもいいというのが両者の共通点です。
言うまでもなく小泉純一郎は、靖国神社という伝統的なシンボルを利用して国民のナショナリズムに訴える一方で、貧富の格差を拡大させる新自由主義政策を推し進めました。
小泉純一郎と同じく、息子の進次郎も解雇規制緩和とかの新自由主義的な政策を掲げています。もしも小泉進次郎が首相になって仮に長期政権が実現したら、日本が今以上の格差社会になる可能性は十分あり得ます。
私は、天皇は男系であるか女系であるべきかの是非はここで言うつもりはありません。ただ、小林による進次郎支持の発言は
「進次郎首相が天皇制を維持してくれるのなら、新自由主義政策で国民の暮らしが疲弊しても構わない」
と言っているに等しいのです。
(ただし小林の期待と違って、小泉進次郎は女系天皇には反対の立場のようですけどね)
伝統的なシンボルさえ国に残ってくれればそれでいい、という考え方はあまりにも浅はかです。民衆の生活が守られて受け継がれていくからこそ、国というものは存続していくのです。保守すべき伝統というのは、人々の営みによって受け継がれてきた精神であり知恵ではありませんか。
人々の生活をないがしろにして保守を名乗るのは、硬直したイデオロギーにすがりついているに過ぎません。庶民の生活の大切さが分からないで保守や尊皇を名乗っている小林は、頑迷なイデオローグでしかないのです。
浅羽通明が言っていた「小林さんは普通の人の気持ちが分からない」という弱点は相変わらずでした。
小林が尊皇家であるならば、仁徳天皇の逸話を思い出すべきです。仁徳天皇は即位後に、民家のかまどから煙が立ち上っていないことに気付き、三年間租税を免除したというエピソードです。
本物の尊皇家であるならば、民衆は一人ひとりが天皇の大御宝であると気付くはずです。天皇の大御宝である民衆の暮らしを守っていくことが大事だ、ということに気付いてこそ本当の尊皇ではないですか。
私は小林に言いたいです。人々の生活を保守できずして何が保守か、天皇の大御宝である民衆の暮らしを守れなくて何が尊皇か、と。
2025年06月28日 17:45
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露悪趣味を狙った初期ゴー宣のころの小林と、不良に憧れていたころの高校時代の小林は、私にはなぜか重なって見えました。そうです、旧ゴー宣の1巻や『戦争論』で紹介されていたあのエピソードを思い出しました。
高校時代のころの小林は、髪をロン毛にしていて不良たちにシンパシーを感じていました。しかし、全校集会で校則の自由化を訴えた小林は不良にヤジられてしまいます。
以降、小林は学校の中で不良たちになめられる存在になってしまいました。彼は、自分がシンパシーを感じていた不良というものの正体は、学校や教師に寄生して反抗ごっこをしていただけだったとやっと気付いたのです。
髪を伸ばして不良を気取っていたはずの小林は、本物の不良が喧嘩をしている場面では脅えることでせいいっぱいでした。
世間に迎合して露悪趣味で受けを狙いながら、露悪勝負になった時に腰が引ける旧ゴー宣時代の小林は、高校時代のころからまるで変わっていません。
つくる会に参加していたころの小林は、右派系の学者たちにシンパシーを感じていました。当時の小林は、右派のことを左翼に汚染された戦後体制や自虐史観と戦う正義の味方と思い込んでいたようです。
つくる会時代の小林は、新ゴー宣の作中で自分を体制に逆らう不良になぞらえていました。しかし、小林が憧れていた右派の人たちは、戦後体制に寄生して宗教右翼の支援を受けながら愛国ごっこをしていただけでした。もちろん、小林もそうです。
校則の自由化を訴えて全校集会で不良にヤジられた高校時代と同じく、反米を唱えたら戦争論2シンポジウムで活動家にヤジられてしまいました。
つくる会時代の小林は、アメリカの属国としての戦後体制を支えている右派陣営に迎合して本が売れていました。しかし、9.11以降の小林は、反米愛国が流行りであると読み間違えて右派陣営のメインストリームから外れてしまいます。
そうなった時に小林は、「親米ポチはアカン」「政治の前に思想が屈するのはアカン」と優等生発言をして、相手を「ワルモノ」にしてつくる会の運動から逃げ出しました。
「茶化し」や「冷やかし」を芸風にして売れたのに、より露悪的なものが登場すると「茶々松はアカン」「価値相対主義はアカン」と優等生発言をして、論戦から逃げた旧ゴー宣のころとそっくりですね。
露悪趣味で売っていた旧ゴー宣時代のころも、右派路線で売っていたつくる会時代のころも顛末は似ています。結局、小林は不良に憧れるヘタレだった高校時代から成長できていなかったようですね。
2025年06月29日 09:42
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大林わるのりさんからのコメント
骨法の起源は奈良時代にまでさかのぼるだとか、父親が東條英機のボディーガードをしていたとか、堀辺正史による自己紹介は今思えば中二病的な設定そのものですよね。
21世紀にもなって堀辺を現代に甦った武士として本気で信じているのは、今の時代でも落合信彦の経歴や言説を本気で信じている人と同じくらい痛いですよ。
問題なのは、世間一般の人たちは骨法や堀辺がどういうものかをとっくの昔に見抜いているのに、小林とゴー宣道場参加者たちはまんまと信じ込んでいるということです。小林一派は、あまりにも世間知らずでお人よし過ぎますよ。
今思えば、堀辺正史がゴー宣道場の師範になっていたのは、小林にろくなブレーンがいなくなったことの象徴とも読めます。
或いは、自分で作ったキャラを演じている者同士として「類は友を呼ぶ」の事例とも読めます。現代に甦った武士という堀辺の設定と同じく、小林が演じているゴー宣の主人公「よしりん」も作られたキャラでしたからね。
前田日明とカレリンがリングで戦った時も、小林は古代の神話になぞらえて名勝負として褒めていました。もしかすると小林は、プロレスや格闘技を川口浩探検隊のようにエンタメとして楽しんでいるのではなく、真剣勝負と本気で思い込んでいるのでしょう。昔から、小林は騙されやすい人だったようですね。
そうであるならば、若いころの小林が1989年の参院選で、プロレスでのキャラ設定を信じ込んでアントニオ猪木に投票したことも納得がいきます。
AKB48にハマっていたころの小林は、アイドルたちが演じているキャラ設定を本気で信じ込んでいました。ちなみに、小林が好意的に評価していた須藤凛々花や岡田奈々は、実際は作られたキャラを演じていただけのようですね。アイドルの推し活でも、小林が騙されやすい人なのは相変わらずでした。
小林はゴー宣で純粋まっすぐ君を批判し、自分は世間を知っていて騙されにくい人間であるかのように描いていました。しかし皮肉にも、小林こそが世間知らずで騙されやすい純粋まっすぐ君だったのです。
2025年06月29日 10:29
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大林わるのりさんからのコメント
安倍なつみが盗作騒動で炎上していたころ、小林は新ゴー宣の欄外で彼女を擁護していました。著作権問題で裁判を起こしたことがある小林が、なっちによる詩の盗作をかばっていたのは意外でした。
しかし少年時代の私は、当時の小林についてできる限り好意的な解釈をしていました。
「小林は情にもろいけど人が良すぎる。だから社会正義のために言論ができるのに、人に裏切られることも少なくない。薬害エイズ運動への参加を決意したころから変わっていない」
今思えば、ここまで的外れな解釈はありません。昔の私は、小林のことを過大評価していました。
小林はアイドル好きなミーハーな人であり、下半身の欲望で動くスケベ男だったのです。それどころか彼には、ロリコンという性癖もありました。何しろ小林は、少女を監禁して発育を観察することに憧れるおぞましい願望の持ち主でもありますからね。
『東大一直線』のころの小林はピンク・レディーのファンでしたし、『おぼっちゃまくん』のころの小林は立花理佐のファンでした。あの酒井法子が薬物で捕まった後、小林はいい年をして「のりピーに騙された」とまで言っていましたね。
還暦前後のころの小林は、AKB48の推し活に異常なまでに熱をあげていました。「前田敦子はアイドル天皇制の神話を創った」という小林の言説は本当に意味不明でしたよ。
今思えば、小林は皇室に対してもアイドル的な興味で崇拝している部分があるのでしょうね。そうであるならば、小林がAKB48と天皇制を結びつけたことも納得がいきます。小林が愛子さまをアイドル的な視線で崇拝していることも説明がつきます。
少女だったころの愛子さまに対する小林による文章の描写は、彼の気持ち悪さが表われています。小林がロリコンであるというのは、もはや断言してもいいでしょう。小林はあまりにも不敬ですよ。
アイドル好きなミーハーな人であり、下半身の欲望で動くという小林の悪癖を考えれば納得ができることは他にもあります。小保方晴子にも騙されたのも、三浦瑠麗に好意的だったのも、山尾志桜里の推し活に励んでいるのもそういうことです。昔も今も小林はスケベ男でしかありません。
これらの小林による一連の言動を見て分かったことがあります。
「シモの欲望で行動や言説が決まる公私混同タイプの人間は、絶対に信用してはいけない」
というのが私が学んだ教訓です。
このことは小林だけではなく、不倫を反省しないあの女性政治家に対しても当てはまります。
2025年06月29日 11:36
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大林わるのりさんからのコメント
「スキャンダル雑誌が成功者を叩いて引きずり降ろそうとするのは、醜い嫉妬を動機にしているせいだ」
という論法を小林よしのりは行ってきました。『噂の眞相』と喧嘩をしていたころのゴー宣での主張がそうです。
ゴー宣を愛読していたころの少年時代の私は、小林のこの論法を鵜呑みにしていました。
小林が嘘つきで虚勢を張る人間だと知ってしまった現在では、当時の彼の姿勢に対して評価が変わっています。おそらく小林は、スキャンダル雑誌に自分の数々の嘘を暴かれることに恐怖心を抱いていたのでしょうね。
自分が嘘つきであることがバレることによってゴー宣で作り上げた名声が失墜し、読者から総すかんを食らうことを小林は恐れていたのです。
メディアが有名人のスキャンダルを追及することは、社会的には十分意義があります。彼らは社会的な成功者であり権力を持っている立場でもあるから、権力をチェックするというメディアの役割は必要です。
また、社会的な有名人で人々に影響を与える立場であるというのは、私人ではなく公人であるという扱いになります。公人であるならば、社会的な責任を背負った上で発言や行動を行うべきなのです。従って公人である以上、無責任な行いをしたら叩かれるのは当然です。
「スキャンダル雑誌が成功者を叩いて引きずり降ろそうとするのは、醜い嫉妬を動機にしているせいだ」
という昔のゴー宣の論法を利用して文春を批判しているのが、小林の元秘書であるピャーポ氏です。結局、彼女は旧ゴー宣の時代から思考のアップデートができていないのです。
『噂の眞相』とゴー宣が絡んだあの事件の影響もあってか、ピャーポ氏はスキャンダル雑誌に対していい思いを持っていないのかもしれません。
また、ピャーポ氏は『週刊文春』の元編集長だった新谷学との諍いを根に持っているようです。さらに、彼女はSMAPや中居正広に対してはファンとしての感情を抱いていたようでもあります。
ピャーポ氏が文春に攻撃的なのも、例の性加害事件の被害者の女性をバッシングしているのも、論理的な理由から批判しているのではありません。結局、ピャーポ氏の私的な動機が理由なのです。
「パーティーで対面した文春の関係者が無礼だったから、文春が憎い」
「大好きだったSMAPや中居くんを社会的に葬った性加害事件の告発者が憎い」
というのがピャーポ氏による一連の言動の動機でしょう。
論理と私怨を混同してめちゃくちゃな主張を唱えるというピャーポ氏の悪癖は、どうやら師匠譲りのようですね。
2025年06月29日 12:44
https://washiblogact3.seesaa.net/article/516640078.html
※関連ブログ
君たちが小林よしのりの新たな表現を育てる!: イボナメクジ愚行録
大林わるのりさんからのコメント
おそらく時浦兼は毒親の被害者だったんだろうなと思います。彼は典型的なアダルトチルドレンです。
時浦の人格が今のようになってしまったのは、教師である父親に厳しく育てられ、ろくに愛されなかったという生い立ちの影響があるでしょう。
小さいころの時浦は家でテレビを見せてもらえず、「テレビを見る奴は馬鹿だ」と親から言われていました。そのせいで彼はクラスメイトに対して馬鹿にした態度を取ってしまい、みんなからいじめられてしまったのです。
幼いころに人間関係を学ぶべき基本的な場所である家庭や学校で、時浦がコミュニケーションを取れなかったことは本当に不幸でした。家庭では常に親の顔色をうかがい続け、学校ではいじめに遭って友達ができなかったのが時浦なのですから。
大人になってからの時浦が、他者とのコミュニケーションが苦手になったのは明らかに生い立ちが原因です。また大人になった彼が、他人に対して攻撃的なのも、社会性が欠落しているのも、元はと言えば生い立ちに影響があるでしょう。
少年時代の時浦兼が手塚治虫ファンになったことも、納得がいきます。彼の父親は日教組の活動家でもありましたからね。日教組の教師である父親が唱えていた戦後民主主義的な価値観を、少年時代の時浦は何も疑わずに信じていたのでしょう。
日教組的な価値観と手塚治虫の漫画での戦後民主主義的な思想は相性が良かったのです。優等生で権威主義者だった時浦は戦後の漫画文化のパイオニアだった手塚に権威を感じたのでしょう。
右傾化していたころの時浦が毎日靖国神社に参拝するほどの極右になったことも、ある意味で納得がいきます。戦後民主主義的な価値観の持ち主だった日教組教師の父親に対する反発もあったのでしょう。
よしりん企画に入社して、時浦はやっと父親に対して反抗心を持つことができました。しかし親離れをしたはずの時浦には、小林よしのりが新しい形で父親代わりになりました。問題は、小林よしのりという新しい父親も時浦にとっては毒親でしかなかったということです。
日教組の教師であったかつての父親も、小林よしのりという新しい父親も、時浦のことを心の底から愛してはくれませんでした。小林に至っては、弟子である時浦を自分に都合よく利用することしか考えていません。
小林のブレーンやゴー宣道場師範代の地位を得て、今の時浦は満たされたつもりでいるのでしょう。しかし私からすれば、彼は今も不幸な境遇から抜け出せないままでいるとしか思えません。
2025年06月29日 13:32
https://washiblogact3.seesaa.net/article/510719199.html
ジャニーズ事務所の創業者であったジャニー喜多川は、ミュージカル映画「ウエストサイド物語」に感動したことがきっかけで、芸能の世界に参入することを決意したとされていました。
(実際には、若い子への性加害を堂々と行うために芸能事務所を作ったという裏側の動機もありそうですが)
ジャニー喜多川はアメリカのショービジネスに影響を受けており、ブロードウェイの存在を意識していました。ジャニーズがアメリカ文化の紹介者としての役割を果たしてきたことも事実です。
初代ジャニーズとジャズ、フォーリーブスとグループサウンズ、田原俊彦とディスコミュージック、男闘呼組とロック、SMAPとクラブミュージックといった関係のように、ジャニーズの音楽はアメリカの音楽文化の影響を抜きには語れません。
嵐のデビュー曲に影響を与えたラップミュージックだって、アメリカの音楽文化の影響と言えますからね。
また、ジャニーズの文化には戦後民主主義的な影響もあるということです。事務所内で先輩後輩関係なく、「君(くん)」付けで呼ぶ平等主義的な習慣もそうです。
SMAPでは、「世界に一つだけの花」のような平等主義と個性重視をテーマにした曲や、「Triangle」のような反戦平和をテーマにした曲も戦後民主主義的な思想の影響があると言えましょう。
小林よしのりは反米の国粋主義者を演じていたので、
「ジャニーズの音楽はアメリカニズムそのもので、日本人を文化的に堕落させている。けしからん!」
と言うのかと私は思っていましたよ。
しかし、どうやら小林はジャニーズの音楽を日本が誇る文化と思い込んでいるようです。小林が保守したい伝統というのは、戦後に作られたアメリカかぶれの文化のことだったようですね。
一方、表向きは戦後民主主義的な価値観を持ちながら、裏ではアメリカ帰りのボスによる性加害が行われていたのがジャニーズ事務所です。ある意味では、戦後民主主義的な価値観が道徳とされながら、実際はアメリカの属国として主権を奪われている戦後の日本と重なって見えます。
反米保守である小林は、こういった構図になぜ気付かないのでしょうか。
ジャニーズがアメリカ文化や戦後民主主義の影響を受けていることは、矢野利裕の『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)で知りました。性加害事件が発覚する前の矢野はジャニーズの御用文化人でしたが、彼によるジャニーズ文化に対する分析は勉強になりました。
小林は歌謡曲やJ-POPを「あの曲はいい!この曲はいい!」と感情的に評価するけど、学問的に勉強をして理詰めで分析しようという気はないのでしょうね。
2025年06月29日 16:32
https://washiblogact3.seesaa.net/article/500827584.html
愛国や尊皇を唱え、国のために死ぬことを賛美し、時にはテロリズムさえ美化する過激な言論人小林よしのり。私は、彼があの真崎甚三郎と重なって見えました。
真崎は過激な思想を抱く青年将校たちの理解者を演じ、二・二六事件が起きて間もないころは実行犯たちに対して「お前たちの心はよーく分かっとる」とまで言っていました。しかし彼は反乱が鎮圧された後は自己弁護を繰り返し、保身に徹し続けました。
過激な思想の理解者を演じ、テロリストに影響を与えたことに対して責任を取らないという点では、小林よしのりも真崎甚三郎も卑怯者でしかありません。
そもそもビンラディンや来島恒喜のようなテロリストを美化する思想は危ういのです。オウム事件のころに小林や橋爪大三郎が言っていたように、テロは民主主義を脅かす行為ですからね。
小林のような極端な言説も、民主主義や言論の自由があった上で保障されているのです。暴力によって政治的な意思を押し通そうとするテロリズムは、
民主主義だけではなく言論の自由を否定する暴挙でもあります。小林はもう一度『ゴーマニズム宣言』の9巻を読み直すべきです。
小林がゴー宣DOJO会員たちをけしかけて行っている「論破祭り」という犬笛作戦は、ネットを利用した典型的な荒らし行為でもあります。テロを賛美する小林が仕向けているという点を考慮に入れると、ネットを使った言論テロなのかもしれません。
コロナ禍のころに小林の言説を信奉していたある公務員は、数々の脅迫行為を繰り返して遂に逮捕されました。極端な思想を信奉するテロリストを生み出してしまったことについては、小林の言説にも責任があります。
言論人としての責任感を背負うことなく、過激な言説を唱え続けて信者を煽る小林は卑劣漢でしかありません。
2025年06月29日 17:34
https://washiblogact3.seesaa.net/article/498241176.html
もつ焼き屋の娘さんからのコメント
大林わるのりはもうええてwww
2025年06月30日 07:05
https://washiblogact3.seesaa.net/article/516640078.html
大林わるのり=わしおやんwwwww
2025年06月30日 07:09
https://washiblogact3.seesaa.net/article/516644114.html
大林わるのりさんからのコメント
そもそも消費税には、所得の低い人ほど負担の割合が大きくなる逆進性の問題があります。だから、消費税は低所得者や貧困層には不利な税制なのです。
また、日本では消費税が増税されるたびに法人税が減税されていきました。日本における消費税の制度は、社会の新自由主義化を促進させるために利用されたのです。
一方、累進課税も弱められて、日本の新自由主義化は進みました。一億総中流と言われていた昭和後期のころの日本は消費税制度はありませんでしたし、累進課税が強化されていました。
消費税は国民平等の思想であるという小林の主張は無理があります。
さらに、消費税は緊縮財政を推し進める政策であるため景気を減速させる恐れがあります。例えば、橋本龍太郎内閣での消費税増税は、回復しかかっていた景気を悪化させる一因となりました。
また、安倍内閣末期(2019年)に消費税が10%になったことも無視できません。消費税増税で内需の拡大が見込めなくなった日本経済は、ますますインバウンドの収益に頼るしかなくなります。新型コロナが流行り始めた中国から、日本政府が観光客を呼び込むことを推奨した理由の一つはそういうことです。
結局、コロナ禍初期のころに日本政府が中国人観光客の入国を禁止しなかったことは、日本国内での新型コロナの流行をもたらす一因となりました。
そういえば『新ゴーマニズム宣言』15巻では、日本は財政危機であるという新自由主義者のプロパガンダを批判していましたね。純債務で見たならば日本政府の借金はEU並みだから、むしろ健全財政であると。
この時に小林が参考文献としていたのは、菊池英博『増税が日本を破壊する』です(作品の欄外で言及されています)。菊池は数々の著書で、緊縮財政や消費税増税を批判しています。
小林が菊池の主張を本当に理解していたなら、消費税が間違った税制であると分かっているはずですがおかしいですね。小林は過去に勉強したことを忘れてしまったのでしょうか。
日本の財政危機を必要以上に煽り、緊縮財政や消費税を推し進めるとことは社会の新自由主義化ともセットなのです。さらに、これらの言説の旗振り役をしてきたのは財務省(旧大蔵省)でもあります。
ちなみに、小林の師匠だった西部邁は友人で元大蔵官僚の榊原英資の影響を受けていました。もしかすると西部による消費税支持の言説は、財務省(旧大蔵省)のプロパガンダの役割を果たしていたかもしれません。
西部は、消費税と累進課税をセットにすべきだと考えていました。しかし、西部の思惑と違って日本における消費税制度は、社会の新自由主義化のために利用されてしまったのです。日本での消費税導入を支持した西部の主張は間違っていました。
小林よしのりによる消費税支持の言説は、思想的な師匠であった西部邁の受け売りでしょう。小林は自分の頭で何も考えず、過去に西部が主張していた言説をそのまま発言しているだけです。何しろ、小林が唱えている保守思想の言説だって、西部が唱えていた言説の受け売りですからね。
小林には、言論人であるならもっと勉強しろとしか言いようがありません。
2025年06月30日 14:53
https://washiblogact3.seesaa.net/article/489820859.html
この画像に出てくるゴー宣DOJOの人たちを見て、気になったことがあります。
「この人たちは顔や肉体は年を取っているけど、表情は実年齢よりも幼く見える」
ということです。
オウム事件が起きたころ、作家の浅田次郎は事件を起こした教団について次のように分析していました。
「オウム事件の真相が次第に明らかになるにつれ、ただただ愕くのは容疑者たちの幼稚さ、人間的な未成熟さである。
彼らはみな、世の中をきわめて簡単に考えている。世界観も人生観も、ほとんど小学生か中学生のそれに等しい。中身がそうであるから人相風体も実際の年齢より五歳、いや十歳ぐらい若く見える。(中略)要するに全員が発育不良である。
そういう子供たちの中に、たまたま育ちが悪い分だけ大人の世界を聞きかじっているガキ大将がいて、神のごとく崇拝された。(中略)そこでガキ大将は彼らの小遣銭と知恵とを結集して、秘密の広場に子供たちだけの王国を建設しようとした。
ガキ大将は全能の神ということになり、子供らはそれぞれの特技とか趣味とかに応じて、名誉ある役職に任命された」(浅田次郎『勇気凛凛ルリの色』講談社文庫、218~219ページ)
オウム真理教に対する浅田の分析は、今のゴー宣DOJOにも当てはまっています。結局、小林よしのりもゴー宣の読者も精神的に大人になることができなったのです。
大人になるということは、あらゆる場面で自らが責任を負うことでもあります。しかし、小林と信奉者たちは精神的に大人になり切れていないから、自分の発言や行動に対して責任を取ることができないのです。
ろくに社会経験がないまま漫画家としてデビューしてしまった小林は、社会人としての経験を積む機会に恵まれませんでした。精神的に大人になり切れなかったからこそ、子供向けのギャグ漫画の創作が小林には向いていたのです。
大人になり切れないまま言論人として情報量を増やした小林は、頭でっかちなイデオローグとなり果てました。
かつての小林は自分探しブームを批判していましたし、「特別な自分」がどこかにあるという自我の肥大化に陥る危険性を指摘していました。自分探しの無意味さを知り、等身大の自分を見ることができるというのは精神的に大人になることでもあります。
しかし皮肉にも、ゴー宣のファンとなった人たちこそが、自分探しをやめることができなかった人たちでもあります。自分探しを続けていた彼らの自我を充足してくれたのが、小林よしのりという嘘で塗り固められたカリスマでした。
そして皮肉なことに小林もまた、「特別な自分」がどこかにあるという願望を捨てきれないまま、自我の肥大化に陥ってしまいました。ゴーマニズム(傲慢主義)と称して虚勢を張り続けてきた結果、小林は等身大の自分を見失ったのです。
大人になることの重要性をあれほど主張してきた小林と、彼の発言を支持したファンたちのなれの果てが今の惨状です。今のゴー宣道場は、悪い意味で「子供たちだけの王国」と化してしまったようですね。
2025年06月30日 16:37