shinkimuさんからのコメント
記録を残すさん
人智を超えたものの説明を私はできません(笑)
私が説明できるのは人智の範囲です。
アフリカの平原に突然モノリスがドーンと現れたとして、それがなんであるかは本当のところは誰にも明かりません。
ただし、人間の後知恵で「こういう意味があったのではないか」という解釈は様々できるかと思います。
皇室における「権威と権力の分離」や、「女性排除ではなく実は男性排除」などももちろん後付けの解釈です。
京都御所が襲撃された例は何度かありますが、例えば「禁門の変」における京都御所の襲撃というのは時の権力者が権力簒奪のために直接的に皇室を狙ったという類のものではないですよね?
「玉の奪い合い」や、「天皇の政治利用」なども長い歴史の中で何度も行われたことは事実ですし、権力争いの中で皇室が影響力を失ったり、政治の実権を失ったりすることもありましたが、ただひとつ言えることは、前述した通り、直接的に皇室を倒して自らがその上に立とうとした権力者はいなかったということです。
それはこの「権威と権力の分離」の仕組みが作用していたということの証左にはなりませんか。
「婚姻により外部から皇室に不届き者が入ってくる可能性」は、男性天皇であっても女性天皇であってももちろんゼロにすることはできません。
ただし、男性天皇の場合は、男系限定継承の原則が採用されている限り、天皇となる男性の家系が維持されることが求められるので、そこには安全装置があるわけです。それを外してしまっていいのかということです。
私自身のオーバーな言葉使いについてのご指摘については反省しますね。
ただし、皇統の原理原則は日本の歴史が始まって以来変わらず続いてきたものであり、仮にそれがある種の共同幻想だったとしても、守り続けなければならない。
そうしなければ皇室はこの先二代と持たなくなる、という確信は私の中で変わらずあるものです。
2023年03月31日 13:55
記録を残すさんからのコメント
shinkimuさん
>人智を超えたものの説明を私はできません(笑)
この「皇統は血統主義です!」という記事の中で鷲ヲさんが紹介しているshinkimuさんのコメントに《長く続いてきたものには人智を超えた何か深い本質があるはずなのです。それが何かここで説明することも可能ですが、その必要性もないと思うのです。》とあります。
これを読んで説明をお願いした次第です。
shinkimuさんが何も言っていないのに私が突拍子もなく説明を求めだしたのではないことは、ここに明記しておきます。念のため。
>それはこの「権威と権力の分離」の仕組みが作用していたということの証左にはなりませんか。
なぜ私が「権威と権力の分離」を認めていないかのような書き方をなさるのですか?
前回と前々回で二度も、それは「日本史の特徴である」とはっきり書いていますよ。
御所がまったくの無防備だったというような明かな間違いは訂正しました。それに続けてシラス云々と話を繋げておられたので、史実と神話を混同するのは害があるので簡単に史実を提示しました。
>ただし、男性天皇の場合は、男系限定継承の原則が採用されている限り、天皇となる男性の家系が維持されることが求められるので、そこには安全装置があるわけです。それを外してしまっていいのかということです。
仮に男系に加えて女系天皇が認められたとしても「天皇の血を引くものだけが天皇になる」という原則はなくなりませんよね。だったらそれが「安全装置」になるではないですか。天皇の血統を差し置いて仮想敵国からきた工作員の配偶者が皇位につくわけじゃないでしょう。
(もっとも、shinkimuさんの例題だと工作員に日本を統治されてしまっているので、そうなったらどんな安全装置があろうと外されてしまって意味がないかもしれませんけど)
男系の場合のみしか「安全装置」が働かないという説明は誤りだと思います。
>確信は私の中で変わらずある
前回も書いたように、多少の史実を提示したところでshinkimuさんの信仰が揺るがないのは重々承知していますし、私は思想・信教の自由を尊重しますので信仰を捨てよなんて言いません。shinkimuさんはそれでいいです。
ただ、そうで無い人もいる。「男系派の語る神話とは随分違うな」と判断する人もおられるでしょう。そういうことも意識して書いてはいます。
2023年04月02日 20:15
shinkimuさんからのコメント
記録を残すさん
人智を超えたものの説明について、私のコメントに誤解を招くような部分があったのですね。
《長く続いてきたものには人智を超えた何か深い本質があるはずなのです。それが何かここで説明することも可能ですが、その必要性もないと思うのです。》
ここは、「それが何か、ここで後付けの説明をすることも可能ですが…」とでも書けばよかったですね。
舌足らずで申し訳ございません。
御所の件も含めて、私の書いたものは申し上げるまでもなく非常に雑駁なもので、あちこちに不備がございます。
ご指摘には感謝します。
ただ、ひとつ思うのは、揚げ足取りのようなものではなく、本質的な議論をしたいなということです。
禁門の変における京都御所の襲撃は、皇室を狙ったものではありません。
当時、京都御所は天皇の居所ではなく、江戸幕府が派遣した警備隊や幕府の要人が居住していました。
時の権力者が直接的に皇室を襲撃したということはかつて一例もなかったということは事実です。
シラス統治というのは確かに神話にある言葉ですが、天皇と民が両思いのような関係で、権力や財力ではなく、「在り方」を体現することで国を統治するというものです。
記録を残すさんのおっしゃるとおり、きれいごとばかりでなかった部分も当然あったかとは思いますが、皇室と民の関係というのは基本的にこのような関係性で永年結ばれてきたということは否定できないと思うのです。
この「日本史の特徴」が諸外国にはない独自のシステムであることについて合意形成はできているのですよね?
女系天皇が認められたとしても「天皇の血を引くものだけが天皇になる」ということには違いありませんが、それまで一本の線でずっと続いてきた父系原理は崩れて、別系の王朝になるという事態であることも一面の真実なわけです。
それは外敵からの安全装置は外されているということになりませんか。
天皇に対する思いが信仰のようなものであるということはその通りですが。それは一部の男系派だけの特徴というものではありません。
憲法第一条では天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。
皇室の歴史なんて全然科学的じゃないな、という意見もあるかとは思いますが、神話の時代から代々繋がれているそれは「日本国民の総意に基づいて」成立しているということです。
例えばこの先女系天皇が誕生した場合、ウィキペディアにはこう記載されると思います。
「男系の血統は第◯◯代〇〇天皇を最後に途絶えており、今上天皇は正当な皇位継承者ではないと主張する者もある」
これはその地位が「日本国民の総意に基づくもの」ではなくなるということです、
これでいいのでしょうか。
莫大な税金を投入して、反人権的な場所に人を押し込めている。
反皇室の方がおっしゃるような、このような非近代的なシステムを、「2千年間継続してきた正当性」を失っても、「日本国民の総意」を失っても、なお今後幾千年に渡って続けていけるのでしょうか。
これが私の根本的な疑問なのです。
2023年04月03日 10:50
記録を残すさんからのコメント
Shinkimuさん
「日本史の特徴」と私が言ったのは、「権威と権力の分離」という事柄についてです。
もっと詳しく言えば、日本史において早い段階で天皇から権力が奪われ、権威を主とした存在となったこと。権力を握った時の勢力は天皇家を滅ぼさず、権威と権力の並立状態となったこと。滅ぼさなかった理由は時代時代の個別具体的な事情と切り離せないので一般化はできないが、そんな権威のみの存在となった天皇を、権力側は自らの支配に正当性を与える道具として活用したこと。その結果として「権威と権力の分離」以降の権力争いのかたちは、天皇を自陣営に掌握して自分たちの正当性を担保するため、時の権力者や権力を狙う者たち同士の「玉の奪い合い」となったこと。これらのことが「日本史の特徴」といえるものです。両思いがどうとかは全然関係ありません。
これは日本史を真面目に勉強してさえいれば小中高生でも知っている基礎知識レベルのものであり、このやりとりを読んでくれている方々もご存知のことと思います。知らないという人がいたらよほど勉強をさぼったか、とぼけているのでしょう。
禁門の変の京都御所襲撃が天皇を狙ったものでないのは当たり前です。
「権威と権力の分離」以降は、「権力を持たない天皇を襲撃して権力を奪う」なんて事態が起こりえるはずがない。争いのかたちは「玉の奪い合い」です。彼らにとって天皇は襲うものではなく利用するものです。
権力を狙う長州藩が、会津藩や中川宮などを「君側の奸」として排除しようとしたわけですが、じっさいのところ孝明天皇は倒幕など考えておらず、むしろ長州藩を排除したがっていました。しかし長州藩は天皇の意向など全く無視。「天皇は君側の奸のせいで正しい判断ができていないのだ。我々こそが真に天皇を思っている。奸臣から天皇をお救いするのだ」ということにすれば簡単に反乱の大義が手に入る。こういった意味でも権力闘争をしかける者にとって天皇は便利な存在でした。「玉の奪い合い」の特徴ですね。
こうして長州藩は京都を焼くような事件を起こしたのです。長州は負けて朝敵となりましたが、最終的に戊辰戦争で勝利し「玉をゲット」したので、この事件も「長州の反乱」とでもするのが実態をあらわしているのに「禁門の変」という、聞いただけでは内容のよく分からない名称が定着させられたと言われています。
かように、「権威と権力の分離」以降に天皇が直接的に襲われていないと言ったところで、尊皇心だとか敬愛だとかの根拠になるものではありません。
(ちなみに、「当時の京都御所は天皇の居所ではなかった」というのはどの史料によるものでしょうか? 確認したいので典拠を教えて下さい。)
「時の権力者が直接的に皇室を襲撃したということはかつて一例もなかった」というのも事実ではありません。
「権威と権力の分離」以前は権力も天皇が握っていたわけであり、その権力を奪うために何度も武力反乱を起こされていますし、崇峻天皇が蘇我氏に暗殺されている一事だけでも「一例もなかった」なんて間違っていると分かるでしょう。
それでも王朝自体は滅ぼしていないじゃないか、と言うかも知れませんが、それも結局はその時々の権力者たちがそれぞれの事情で残したほうが得だと判断したまでのことで、禁門の変の例で見たように天皇の意向など無視して自分たちの権力奪取や維持に利用し尽くしたのです。
このような史実に基づいて北一輝は、万世一系国体不変などとした憲法学者の穂積八束に対して、そんなわけがあるか、天皇から実権を奪い形骸化させてきたではないか、日本はむしろ乱臣乱賊の国であると厳しく批判したのです。シラス両思い論とは真逆ですね。
>それは外敵からの安全装置は外されているということになりませんか。
外されていることにならないと思います。
血統主義が変わるわけではないのだから、女系容認でも安全装置は働いているとしなければ筋が通らない。その上で、男系オンリーのほうが条件は厳しいので「セキュリティーレベルが高い」とは言おうと思えば言えるかなという感じです。
両刃の剣ですね。継承者の数がいるうちは厳しくても良いが、側室制度もなくなり継承者が実質一人だけというような現状では、それが足枷となる。およそ現実に起こりそうもない想定の外敵を心配するより先に、自然消滅の危機のほうが大きい状態ですから。
「国民の総意」について。
「お前は天皇は科学的じゃないなどというが、憲法には天皇の象徴としての地位は国民の総意に基づくと書いてあるんだぞ!日本国民である以上、お前も神話から続く万世一系の男系天皇を認めていることになるのだ、それともお前は日本人じゃないのか?」
こんなふうに詰めよられたら、気の弱い人ならびっくりして座りションベンを漏らしてしまうかもしれません(鷲ヲさん風)。
しかし、少し落ち着いていま現在の日本を見てみれば、天皇礼賛者であっても男系オンリーと女系容認に分かれていがみ合っているし、反天皇主義の人もいるし、共和主義の人もいるし、無関心という人もいて実にさまざま。女系容認されて男系派がへそを曲げるのを待つまでもなく、日本国民が一人残らず神話から続く万世一系の男系天皇を認めているなどという状態にはありません。そんな状態は憲法が制定されたスタート時点から一度としてない。それが現実です。
さらに、日本国憲法は思想信条の自由や信教の自由といった個人の尊重をしているのに、「日本人は一人残らず天皇を認めるという総意ができている」などという思想の強制をするわけがない。Shinkimuさんの主張はこの二点に矛盾している。
そもそもこの「国民の総意」という語は非常に曖昧なもので、憲法改正といえば9条ばかり取り上げられるが、改正するなら真っ先にこの胡散臭い語をするべきだという意見もあります。なので、男系派は自説に都合良く解釈しますが、矛盾を放置した強引なものに過ぎません。
矛盾なく解釈するとすれば、我々が「日本とは何か、日本人とは何か」というような思いを致すとき、強く連想されるものが天皇である、礼賛していようが反発していようが普段無関心であろうが無視はできない、ということが「総意」されている、くらいの意味じゃないでしょうか。
鳩が平和の象徴なのは、それを成立させるくらいそのような連想をする人がいるということであり、いなくなれば鳩はただの鳥です。
日本を想うときとっさに天皇を想う人が激減して明らかに総意でなくなった暁には、潔く憲法改正するしかないでしょうね。
2023年04月06日 19:12
shinkimuさんからのコメント
記録を残すさん
私は「事実は一つ解釈は無数」という言葉が好きなのですが、「日本史の特徴」として「権威と権力が分離」していたという「事実」については記録を残すさんとは合意形成ができているわけです。
それはおっしゃる通り、「シラス両思い」のような綺麗ごとばかりではなかった史実は大いにあったでしょうね。「玉の奪い合い」ということも当然あったと思います。
ただし、「解釈」は様々なれど、「権威と権力の分離」というシステムが有効に作用したことで、2千年もの長きの間(年数についても諸説ありますが)結果として世界にも類例を見ない日本式の統治を続けて来られたという事実は動かないと思うのです。
ここで論点になるのはまさにこの点であって、枝葉末節とは言いませんが、本質的な部分以外のところで、いくら「論破」しても意味がないとは思いませんか。
女系容認論の方々も様々いらっしゃいますが、例えば所功さんのような方と議論をすれば、このような対立構造は生まれないように思います。
それは所さんと私の立場が、あくまでも皇室の弥栄を心から願う者同士として通じ合える部分があるからです。
ところが、「論破」という言葉が象徴的なのですが、ある種の女系推進派の方々は、とにかく徹底的に相手を潰してやろうという態度にしか見えないのは何故でしょうか。
その議論はいつまでも平行線をたどり建設的なものになったためしがありません。
記録を残すさんがそうだとは決して申し上げませんが、「皇室の弥栄のために議論している」というこの一点について、果たしてこの相手とは合意が取れているのかなと思える方が多いことは事実です。
> 礼賛していようが反発していようが普段無関心であろうが無視はできない、ということが「総意」されている、くらいの意味じゃないでしょうか。
ここは全く同意します。総意という意味は何も全国民が天皇を礼賛しているという意味ではありません。おっしゃる通り、「そのお立場を日本人誰もが無視できない状態でいる」くらいでいいと思います。
国民の総意が崩れるというのは、「この人は天皇じゃない」という立場の人が生まれてしまうということです。
皇位が一旦正統性を失って仕舞えば容易にその一群は生まれます。
もはや万策尽きた、という状況ならいざ知らず、悠仁親王という、誰が見ても明らかな正統性を有した皇位継承者が存在するにもかかわらず、それを廃嫡させ、愛子内親王に皇位継承させたいと考える人たちの、(佐藤優さん風にいうところの)「内在的論理」が、どうしても理解ができず、首を捻っているというのが正直なところです。
2023年04月07日 18:07
記録を残すさんからのコメント
shinkimuさん
「この議論でもっとも本質的な部分は、『権威と権力の分離』というシステムが有効に作用したことで、世界にも類例のない日本式の統治を続けてこられたということである。
『日本式の統治』とは、天皇と民が両思いのシラス統治のことである。綺麗事ではない史実もあったが、綺麗事のほうも確かにあったのだから綺麗事のシラス統治を全否定するな。
綺麗事の面を強調するか、綺麗事でない面を強調するかは、解釈の多様性に過ぎない」
まとめるとこんな感じでしょうか。では(大変ですが)一つずつ説明していきます。
まず、前回も書いたように『権威と権力の分離』という日本史の特徴は、学校で教わる小中高生レベルの知識であるので議論の分かれるような箇所ではなく、知っているか知らないかということに過ぎないのだから合意形成ができているというような大仰なものではありません。
そして、一歩すすめて大学生レベルの説明になりますが、『権威と権力の分離』はシステムではありません。よって、存在しないシステムが「有効に作用する」などということもありませんし、作用した結果、「シラス統治」が行なわれたという事実もありません。
そもそも、歴史全般を貫く法則やシステムを見出そうとすること自体が、歴史法則主義という非科学的な態度です。マルクス主義史観などと同じですね。端的に言えば、事実ではなく願望で歴史を見ているということです。
歴史学の研究史的にみると、初期には天皇制が存続したのには何か普遍的・根源的な理由があるのではないかという見込みで研究が行なわれました。そして「早い段階で天皇が実権を失ったため、それが皮肉なことに天皇を政治責任の追及から守ることとなり存続を可能にした」といった見解を出していました。
しかし、そのような漠然とした一般論ではそれ以上研究が進むことはなく、次の段階として近世や中世といった各時代の専門家がそれぞれの時代の天皇や天皇制の在り方を個別具体的に検討する、ということが行なわれました。そうして徐々に明らかになっていったのが、天皇制存続には何か時代を超えた普遍的な要因があるわけではなく、その時代ごとの権力掌握者が個別の事情で必要と認めたためであり、時代から離れた検討はありえない、ということでした。
「権威と権力の分離」という言い方も便宜的なものであり、じっさいには権威すら完全に失っていた期間も長くあるなど具体的に見ていくと、とても「〇〇システムにより導き出される〇〇式統治」のように一般化できるものではないことが分かります。
「権威と権力の分離」とは、各時代における判断の積み重ねの『結果』として見られる特徴であり、日本式統治とやらを生み出す『原因』などではないのです。
また、「世界にも類例のない日本式の~」といった表現も慎むべきだと思います。じっさいには天皇とローマ教皇の類似性を指摘する研究などもあります。ある研究者が「こういう言い方をする人を見るたびに、あなたは本当にすべての事例を確認したのですかと尋ねたくなる」と書いていましたが、本当にそうだと思います。
次にシラス両思い論についてですが、私はすでに「それは神話ですから史実と混同するのはやめてください」と言っています。
もう一度言いますが、「天皇と民が両思いだったから天皇制は続いてきたのだ、それがシラスだ」などというのは、「そうだったらいいな」という願望であり妄想ですから、妄想を史実かのように主張するのはおやめ下さい。
「解釈の多様性」というのは私も基本的には大いに尊重するものですが、それは魔法の言葉ではないので、それさえ言っておけば何でもアリというわけにはいきません。妄想と実証された史実を横一列に並べて「どちらも同価値である、どちらをとるかは解釈の違いに過ぎない」などと主張するのは間違っています。歴史の議論をしていると、トンデモ論や陰謀論を主張するような人ほど、具体的な論証ができないので「解釈は人それぞれ」などと言って誤魔化そうとする傾向があるように見えます。解釈の違い以前に、ジャンルが違うとしかいいようがありません。
前に私は「シラス統治で国を鎮めてきたというようなものは、記紀における理想の天皇像」と書きましたが、これは間違いでした。正しくは、「記紀にはそんなこと書かれていない」です。記紀におけるシラスとは、天皇の統治を意味する慣用句であり、それ以上でも以下でもありません。民と天皇が両思いだったとか、権力や財力によらず在り方で統治したなどという話は一切書いてありません。これらはすべて後世の創作ということです。では、その後世とはいつのことか?
記紀の神話は、七世紀に当時の隋唐新羅といった国に憧れて創作された伝承です。成立当時はその事情を理解し、支那の文献と比較しながらきちんと相対化して読む者も少なくなかったようです。
それが江戸時代後半に国学運動がおこると神話が歴史的事実とみなされるようになっていきます。この時、本居宣長は古事記研究の集大成である『古事記伝』を著わしましたが、この時点でもシラスに過剰な意味を持たせるようなことはしていません。そんな宣長の研究をねじ曲げたのが明治憲法の草案作成時の井上毅でした。
シラスは皇室独自の統治理念であるとか、シラスとウシハクを対立概念であるように言い、天皇はシラスだから素晴らしいとかいった言説は、この時に井上がでっち上げたものです。井上は、これらの見解は宣長の『古事記伝』によると主張しましたが、『古事記伝』にはそんなことは書かれていないのですからまさにでっち上げです。私などは「でっち上げ」「捏造」と書いてしまいますが、学者はもう少し上品に「意図的な誤読」と言ったりします。では、井上はなぜ誤読をする必要があったのか?
端的に言うと、自分たちが権力を掌握するためです。当時の井上らはアンビバレンスな問題を抱えていました。天皇には絶対的な存在であって欲しい。そんな天皇にお墨付きを貰っている明治政府、という正当性の根拠にしなければなりませんから。
しかし本当にその通りにしてしまうと自分たちの政治上の権限が小さなモノになってしまう。また本当に天皇親裁を目指す側近派グループというものが存在していて、井上ら官僚派と天皇に与える影響力の主導権争いをしていました。この連中のことも牽制しなければなりません。
そこで井上がおこなったのが『古事記伝』の誤読であり、シラス=国体論をぶちあげることで、天皇は大権を持ちながらじっさいの政治にはノータッチ、その代わりに自分たちが輔弼する、それがシラシメル天皇という伝統である、としてしまうことで問題を解決したのです。
この井上毅の「意図的な誤読」はこの後さらに一人歩きし、昭和の国体論争や国家主義運動を通していっそう歪曲・誇張され、国体の本義、八紘一宇、現人神、国家神道など狂信的な世相を作り出すことに繋がり、古事記や天皇を研究すると逮捕されるような世の中を作り出します。
前に私は史実と神話を混同することは害があると書きましたが、このシラス論というでっち上げがまさにその実例です。
未だにシラス論を唱えているということは、井上毅や国家主義運動時の言説を無批判に繰り返しているということ。小林よしのりもその一人ですね。
Shinkimuさんも読者時代の名残りがあるのかもしれませんが、やめにしたほうが良いです。
ところで「禁門の変当時、京都御所は天皇の居所ではなかった」という史料は教えて貰えないのでしょうか?
論破したいわけじゃないのでそんなに警戒しないで史料名だけ教えてくれれば良いのですけど。
>国民の総意が崩れるというのは、「この人は天皇じゃない」という立場の人が生まれてしまうということです。
これは特定個人を天皇と認めないという意味ですが、天皇には歴史的存在としての意味もあり、むしろそちらのほうが重要でしょう。つまり、「この人は天皇じゃない」と特定個人を否定すること自体が、歴史的存在としての天皇を無視しえていないわけで、我々が合意形成したところの、反発していても無視できないという「国民の総意」解釈に当てはまっています。なので総意は崩れていません、大丈夫です。
「皇室の弥栄」について。
折々書いてきたように私は天皇教に対して非信仰者です。なので男系オンリー派でも女系容認派でもありません。両者はどちらも天皇礼賛主義ですから。
私は強い信仰心もなければこだわりもない、ごくごく一般的な国民の目線から発言しているつもりです。
そんな一般国民が「皇室の弥栄」という言葉を聞いて思い浮かべるのは、天皇の血を引く者がなるべく長く代々続いていく、くらいの感じだと思います。この点で女系容認派の「皇室の弥栄(継承安定)のためには男系女系に関わりなく継承できるようにすればいい」という考え方と通じているので共感しやすいのだと思います。
いっぽう男系オンリー派は「男系にあらずんば天皇にあらず」なので、女系天皇を認めれば天皇制を継続できるという場面であっても、もうその時点で皇室の弥栄は失われてしまったと考えるのでしょう。
じっさい、竹田恒泰などは「女系なんて天皇じゃないんだから、そんなもの認めるくらいなら天皇なんてなくなっていい」と明言していました。
同じ「皇室の弥栄」という言葉を使っていても、内容はこのように全然違い、やはり男系オンリー派は特殊で、それが「女系容認7、8割、男系維持1割」という世論調査の結果にシンプルに反映されているのだと思います。
ところがshinkimuさんは、ナクラさんとのやりとりの頃から、男系継承の万策が尽きたのならいざしらずというような、男系維持がいよいよ無理となったら女系も認めて良いような発言をしています。竹田らとは考えが違うのでしょうか?
ただ、そんなことを言うのなら、その「男系の万策尽きて、かつその時点からなら女系容認に切り替えても間に合う」というデッドラインとはどこなのかを明示しなければズルいでしょう。しかし現実的にみて変数が多すぎるのでそれを示すのは不可能でしょう。shinkimuさんの言うのは例えると「株で儲けるなんて簡単だよ、一番安い時に買って一番高い時に売ればいいんだから」と言っているようなもので、それが分かれば誰も苦労しない。つまり出来もしないことを言っているわけでやはりズルいわけです。
じゃあどうすれば良いかと言ったら、ふつうなるべく余裕のあるうちに手を打つわけでしょう。悠仁親王が存在するのにと言いますが、存在するうちが花なわけです。現時点がどれくらい余裕があるのかないのか正確なところはこの先、過去として振り返ってみて初めてわかるわけですから。女系容認の人たちが今のうちにと言っているのは、そんなに首を捻るようなことだとは思いませんけど。
(ちなみに「廃嫡」と書いてますけど、女系容認されても継承順位が変わるだけですよね。つまらない印象操作をしようとしていませんか?)
2023年04月13日 07:16
https://washiblogact3.seesaa.net/article/498689496.html
※画像と本記事の内容は関係ありません