脱イボナメクジ宣言

小林よしのり読者であった黒歴史を告白する会

映画『ジョーカー』評

トラヴィス・ビックルさんからのコメント

ジョーカーは一度見て衝撃を受けて、日を開けずに二回目を見に行きました。見る度に発見があって考えさせられることが増えるので、考えることが好きな人はドはまりしますね。だから、面白くない、全然ダメという人は考えることが好きじゃなかったり苦手なのかもしれません。

最も映画なんてものは娯楽なわけですし、どう感じるかも人それぞれで好き好きもありますからそれでも別にいいでしょうが、感想までも人に委ねたり従ってしまうとしたらそれは困りものですね。

アーサーとカウンセラーのやりとりにもありましたね。
「何を笑ってるの?」
「ジョークを思いついた」
「聞かせて」
「どうせ理解できない」
と。

面白いか面白くないかは主観だし、理解できなくてもいいんですよーo(^o^)o

 この映画は論点がたくさんあるのできりがないのですが、そのひとつがこの主観というものではないかと思います。終盤アーサーが言いますよね。

「善悪は主観である」と。

実際そこに至るまで、ピンポン玉のように自分の中の善と悪という主観が翻弄されました。アーサーに殺されるホワイトカラー三人は善なのか?彼らを殺したアーサーを非難するトーマス・ウェイン、マレー・フランクリンは?アーサーの母は?そしてアーサーは悪なのか?と。

 表現の自由への挑戦も見受けられました。ハリウッドは日本よりよほどPCなどにシビアなようですが、残虐なシーンの中で、ある種の清涼剤のようにさえ感じてしまった身体障碍者のユーモアや(ドアの鍵~額へのキス)、性犯罪で収監中のゲイリー・グリッターの曲も実に良かったです(エレベーターに乗り込むアーサーの後ろ姿~階段でのダンス)。

こういうのはひとえに創作者の腕にかかっていて、「表現の自由を守れー!」などという大義名分のもと、ただただデリカシーに欠けるだけだったり差別的表現を振りかざすというのは(ただの暴力であってユーモアとか毒とは呼びません)、あらためて愚の骨頂以外の何ものでもなく、創作者、表現者としてのスキルが足りないだけなのではないかと思いました。
2019年11月14日 19:55

https://washiblog.seesaa.net/article/471493628.html

 

ルパート・パプキンさんからのコメント

JOKERの主人公アーサーは後半にこう言います。
「俺の人生は悲劇だと思っていた。でも俺の人生は喜劇だったんだ」
そのスタンスで名作を世に送り続けたのはチャップリンですが、映画の中のチャリティー会場で上映していたモダンタイムスに笑い転げていたのは富裕層たちでした。モダンタイムスは彼ら資本家によって作られた病んだ社会を皮肉った話なのですが。

JOKERの時代背景は1981年とのことですが、作中あったスタンダップコメディで、耳を塞ぎたくなるようなえげつないセクシズム丸出しのJOKEもありました。観客は笑い転げていたので当時はあれが笑いになったのでしょう。どうやら一部の人は、昔はおおらかでよかったとその時代を懐かしみ、あの頃よもう一度と言っているようですが。

マレー・フランクリンも似たようなものです。弱者を嘲笑し貶めることで笑いを取り、その同じ口で悪を非難し善を語る。トーマス・ウェインもそうでした。その偽善たるや反吐が出そうになるわけですが、今も似たような場面にしばしば出くわすことがありますよね。

JOKERを見た人の中には、アーサー(JOKER)は自分の中にもいて、誰でもなり得る怖さがあるという感想を持つ人がいます(私もそのひとり)。
バットマンのJOKERは邪悪の化身のようなキャラクターだそうですが、今回のJOKERを見ると、治安悪化と大量のゴミによって腐臭漂うゴッサムシティに負けないくらいの絶望的に邪悪な人間が出てくるので、邪悪の化身とは誰のことなんだろう?とも思うわけです。

社会の病理や人間の闇を抉ったJOKERをアメコミのバットマンという目で見れば邪道と感じる人もいるのでしょうが、創造の羽根をめいっぱい広げて縦横無尽に飛翔できるハリウッドの懐の深さを感じられる作品でもありました。
2019年11月16日 11:19

https://washiblog.seesaa.net/article/471525151.html

 

ティティナさんからのコメント

ジョーカーを見てショボい、つまらないという感想の人を、むしろ羨ましく思う。
私は、冒頭のアーサーがメイクする横顔と、車窓から外を眺めるアーサー(おそらく彼の目には何も映っていない)の姿に胸を鷲掴みにされ、そのまま一直線に地獄へと引き摺りこまれた。彼の絶望から狂気という修羅の旅に道連れとされてしまったようだった。

アーサーの頭が悪いと言われても、「その通り」としか言いようがない。だがマレー・フランクリンショーに出演したときのアーサーはどうだ。アーサーの弁舌がマレーを圧倒してしまったではないか。頭が悪かった彼を何がそうさせたのか。

地獄へ道連れにされてしまっていたらそれが自ずとわかってくる。
だから、つまらなかったという感想の人を羨ましいと思うのだ。
2019年11月17日 21:29

https://washiblog.seesaa.net/article/471577266.html

 

イボナメ宣言が文字数と情報量が多いマンガであるのは昔からだけど、以前より売れていないことをどう理解しているのでしょうね。一定の読解力や知的好奇心や国語力のある読者こそ離れている事実から、いつまで目を背け続けるのでしょう。

イボが『ジョーカー』について「アーサーは頭が悪すぎるのである」と書き、それを読者が喜んでいるようですが、そんな駄文を「映画評」と称して金を取る神経にも、それを喜ぶ信者にも驚愕せずにいられません。

『ジョーカー』のストーリーを乱暴にまとめれば、愚かで哀れで何をやってもうまくいかない男が、悪のカリスマへと成長していく様子を描いた映画ですよね?

「アーサーが愚かだ」なんて、批評にも批判にもなっていない。
見て楽しんでいる人もみんなわかっていることでしょう。
何を鬼の首をとったように勝ち誇っているのでしょうかww

殺人のたびに主人公と一緒に解放感を覚えてしまう、やばい方向に自分の心が引っ張られることの恐ろしさ。殺す者も殺される者も、そこらにいそうな人だからこそ感じられるリアリティとカタルシス

それを「ショボい」としか思わない人は、職場や世の中で理不尽な思いをしたり、それらへ憤ることと無縁に生きているのでしょう。

たしかに羨ましいですね。
amazonでランキング1007位のイボ漫画を読んでいれば「知の富裕層」気分になれるお気楽人生で、楽しそうです。
2019年11月18日 20:18

https://washiblog.seesaa.net/article/471596883.html