脱イボナメクジ宣言

小林よしのり読者であった黒歴史を告白する会

筋肉にくにく憎らしいわ

匿名希望さんからのコメント

私が幼い頃は、天皇誕生日建国記念日には玄関などに日の丸を飾る人が少しはいたな~と思いましたが、そう言ったアピールすらしない。
尊皇心のカケラも無い尊師。

陛下は記者会見にて、「コロナ感染によって亡くなられた方への哀悼の意」と「医療従事者への感謝」を述べられていたようです。

尊師は、このへんもスルーですかね?

あと、イボナメクジウォッチャー界隈のツイートにクソリプ送ってる連中はひたすら気持ち悪いな…と思って見ています。

2022年02月23日 18:48

 

匿名希望さんからのコメント

全くもってこれです。
私がイボナメクジを信用に値しない人間だと確信したのが小保方晴子事件でした。
あの時も、執拗なほどの「小保方推し」であり「小保方萌え」でした。
四の五の屁理屈を並べ立てても、結局おっさんが鼻の下を伸ばしているだけです。

2022年02月23日 19:03

https://washiblog.seesaa.net/article/485717628.html

 

ドラちゃんからのコメント

昨今トレパクだかで巷を騒がしている古塔つみ氏も今までバレなかったんだから、大昔の自作をツギハギしたってバレないだろうとでも思ったんですかね。
確かに、信者さんはイボさんの言うことは疑いませんし、アンチはイボさんの今の作品を追いかけ、過去の作品を掘り返すようなことにリソースを割いたりしないから、彼らにはバレないでしょう。
ですが、ここの主のような批判的な視点も併せ持つウォッチャーってのはこういうのを見つけるもんです。
そういう人に見られているイボ先生が一番やっちゃいけない悪手でしたね。

まあ、自作をツギハギしている分には法的には問題ないでしょうけど、今の自分の言葉や絵で訴える意欲が無いのであれば、クリエイターとして終わってますね。

…てなことを言うと、今度は「過去の作品をコラージュして新しい作品を生み出すことは可能か?――という実験をしたところ、手抜きだツギハギだとケチを付けられた。読解力と想像力の無いやつはこれだから面倒くさい。」とか言い訳をするんだろうかね?

2022年02月26日 10:09

 

65535さんからのコメント

最近はゴー宣を見るどころか、SPA!も触ってもいないのでゴー宣の最近の描き方がどうなっているのか分かりません(しったこっちゃない)が、おぼっちゃまくんや初期のゴー宣だと読者からの手紙(文章)を実際描いて引用する手法があったじゃないですか。

twitterで流れてくる小林氏関連の情報を見る限り、そういったものは全くなくなってtwitterの文章をプリントスクリーンでコピペしてるのを見かけて、「この人達、歳取ったどころか、いろいろなものが退化してないか?」と思うようになりました。

2022年02月27日 11:25

 

匿名希望さんからのコメント

若き日の尊師の写真、キン骨マンにそっくりで格好いいです。
こりゃ高校時代も相当モテモテだったことでしょう、本人の中では。

2022年03月02日 21:22

https://washiblog.seesaa.net/article/485726471.html

※参考画像

f:id:washioblog:20221106080506j:image
f:id:washioblog:20221106080509j:image

shinkimuさんからのコメント

こんにちは

>「辞めるなら黙って去れ。去ったあとで批判するのは卑怯者」

私の時代は「言いたいことがあるなら堂々と言え」といつも言われてましたね。

なので週刊誌の飛ばし記事について私がトッキーを批判してメーリスが荒れた時、「では次回の道場で少々説明する時間をもらえますか」と言ったところ、最初はOKだったのですが最終的には笹が出てきて、何か色々理屈をつけてそれは今回はなしにしましょうという話になりました。
今考えればそれも当たり前でKYの私にLIVEで妙なことを喋られたらそりゃ困りますよねw

鷲ヲさんにもいつも言われますが、当時は道場は運動の場ではなく日本を変えるための時限的な議論の場で必要とあればワシは批判されたいのだと小林さんはいつも言っていました。

そういうことをいちいち真に受ける私もどうかしてますが、そういう真剣勝負の場という雰囲気は当時は確かにあったんですよ。
今となってはとても信じられない話かと思いますが。

2022年02月27日 13:37

https://washiblog.seesaa.net/article/485768363.html

 

匿名希望さんからのコメント

>何故ならハナから「いついかなる時もイボが正しい」という結論ありきで議論を始めているのですから、参加者に求められているものはイボの主張の補強であり補完です。

結局のところ、人間性なんですよね。
イボナメクジは、自分と異なる考え方や価値観、人の歩みに敬意を払って、そこから学び取ろうという人ではありません。
何が何でも自分が一番という自己愛だけの人です。
わしは誰より頭がいい、わしは何でも知っている、わしは本質を見抜いている、わしって素晴らしい。
イボナメクジが欲しいのは賛辞と同調であり、読者の多様な考えなど聞きたくないのです。
イボ道場に限らず、この手の集まりは大抵こうです。
正義論争は水掛け論にしかなりません。

2022年03月02日 20:57

https://washiblog.seesaa.net/article/485772438.html